さくぶん道場 第173回

太陽は何色? 大谷雅憲

早稲田大学2018年度の小論文問題は「認識論」についての課題文だった。授業をしながら、昔、ISKLでやらかした「しくじり」を思い出した。以下はその時のやり取りの再現記事です。

IB日本語のクラスで、禅について授業をしているときに、「人間というものは概念によって対象を見るクセがついていて、日常生活の意識ではモノそのものに直接触れることはしない」という話になった。文化というものは、そうした概念の蓄積であって、それが固定観念や偏見を生み出す元になる、簡単な例を出すと、太陽の色を僕たち日本人は黄色だと思うでしょ。でも、地域によって太陽の色のとらえ方も違っているんだ。」

そんな話をしていると、ある生徒が「先生、日本人にとって太陽の色は黄色じゃなくて赤じゃないですか」と反論してきた。何人かの生徒がそれに同調する。「何を言ってるんだ。僕は太陽を赤の色で書いたことなんてないよ。夕日は赤かもしれないけど、普通は黄色でしょ」と自説を押し通して授業は終了した。「今どきの子供たちは太陽の色すら知らないのか」と内心思いながら。

すると、次の授業のときに、件の生徒がレポートを書いて持ってきた。力作であるので、全文を紹介する。

太陽は何色?

大谷先生がクラスで言っていた『子供が描く太陽の色』について、どうしても黄色い太陽に納得できなかったので調べてみました。絶対に太陽は赤だと思っていたので。(ここで◆お絵かき〔文化の違い〕「ドイツ再発見」◆というサイトの写真が引用されています。)

一枚目の絵は13歳くらいの子供によって描かれた絵、2枚目は9歳くらいの子供の描いた絵、そして3枚目は8歳くらいの子供の描いた絵です。ちなみに、この子供達は『蝶と太陽』という同じテーマの絵を描いています。

この3枚の絵の違うところは、そう、「太陽の色」です。この絵を描いた子供たちは全員ドイツ育ちですが、最初の2枚の絵は、母国語がドイツ語である日系の子供たちの絵、そして、3枚目は、母国語が日本語である日系の子供の絵です。

クラスで誰かが、「欧米の子供たちは太陽を黄色で描く。日本人は赤い太陽を描くことが多いって言われていますよね」と発言していました。しかし、同じ日本人でも、ドイツ語を話しドイツ人と同じ概念を持つ日本人の子供は太陽を黄色く描き、日本語を話し日本人と同じ概念を持つ日本人の子供は太陽を赤く描くのです。というわけで、欧米人だから、日本人だからという分け方は適切ではないということになります。

ある日本の保育園では、参観日の日に子供がお絵かきをする際、あまり上手い下手の差がでないように、色を何色で、どんなふうに描くかを指定して子供に絵を描かせたことがあったそうです。そのときに指定された太陽の色は赤。他の色で子供が塗ろうとした場合、先生がわざわざ赤く塗り替えさせていたそうです。こんなふうにして「太陽の色は赤」という概念が子供に植えつけられていくようです。多くの絵本でも太陽は赤く塗られているとか。

というわけで、日本で子供たちに植えつけられているのは、基本的に「太陽は赤い」という概念だそうです。そしてこれは、日本人だから太陽を赤く描くということではなくて、日本ではそういう概念を植えつけられてしまったから太陽を赤く描くのです。大谷先生が太陽は黄色だと思う限り太陽は黄色であり、私が太陽は赤であると思う限り太陽は赤だということらしいです。

参りました!

固定観念から自由になる方法について授業している本人が、「太陽は黄色でしょ」という固定観念にバリバリ縛られている好例になってしまったという、笑えない笑い話。教師の間違いを軽く流すのではなく、しっかり調べて、レポートにする生徒を持った教師はなんて幸せ者なのでしょう。参りました。完敗です。見事に僕を反面教師にしてくれました。いや、まあ、あえて間違ったことを授業で発言することで、生徒の知的好奇心を刺激するという高度な技術と狙いがなかったわけでは・・・なかったです。

教師がボンクラでも生徒は育っていくものなんだなぁ。