IB日本語準備のための読書案内

G11になったら、IB(国際バカロレア)を受講したい、できれば言語系の一つは日本語(文学)を選択したい、と考えているG9・10年生に準備しておくといいと思うことをまとめてみました(大谷雅憲)

IB日本語(文学)と「国語」の違い

IBの日本語(文学)は、日本の高校でやる「国語」とは異なります。大きな違いは次の三つです。

  • 教科書がなく、文学作品そのものと向き合う必要があること
  • 「読解」ではなく、科学的な理論と方法による分析が求められること
  • テーマや概念についての共通点と相違点について作品間の比較が求められること

第一段階は、日本語の文学作品(小説・詩・戯曲・随筆など)に親しむことで、「文字を追う」のではなく「作品の世界に入る」習慣をつけることです。 G9・10の時までにこの習慣をつけておくといいでしょう。「国語」の教科書や問題集では作品の一部分の抜粋や短い作品しか扱えないので、不十分です。IBの文献リストから興味のあるものを選んで読んでおくと、例えばSelf-taughtの場合、事前の準備が可能になります。

第二段階は、日本の「国語」の授業で習った知識で、作品分析に使えそうなものを整理します。

  1. 視点:誰によって見られた世界か。カメラアングルを意識して読む。一人称(私)、三人称(彼・彼女・登場人物の名前)、神の視点(筆者が登場人物の感情や思考を説明する)など。その視点によって描かれることの意味や効果は?
  2. 表現技法とその効果:比喩(直喩・隠喩・換喩・提喩・擬人法・擬声語・擬態語)、押韻、省略法、倒置法、対句法、列挙法、詠嘆法など。
  3. 文体とその効果:一文の長さとリズム。句読点の付け方の特徴と変化。文末表現(現在形か過去形か、常体         か敬体か)
  4. 象徴:作品の中に出てくる場面描写の中で出てくる動植物、自然現象、情景などにはすべて意味があります。「なぜ夜なのか」「なぜこの季節なのか」「なぜ雨が降っているのか」と、それが象徴するものをイメージしてみることが必要です。例えば「りんご」は西洋では「知恵」の象徴ですが、日本では「青春の甘酸っぱさ」を表すものとして昭和の青春ものではよく使われていました。作品のテーマを象徴するものがタイトルになっているものも多くあります。「檸檬」(梶井基次郎)、「トロッコ」「蜜柑」(芥川龍之介)、『ペスト』(カミュ)。作品の主題を象徴するものを見つけることは、作品分析の中でも特に重要です。
  5. 時代背景や作品・作者についての知識

以上の1〜5の知識や技法については、「知っている」だけで終わらせないで、「それが作品の中でどのような効果をもたらすのか」まで考える必要があります。日本の中学校や高校でもらう「国語便覧」があれば十分です。僕の手元にある数研出版社の国語便覧は、オールカラー520ページの豪華版で定価が900円でした。

第三段階の作品間の比較については、比較の基準になる「概念」を見つけることがポイントになります。たとえば、「作品の時代の一般的な家族観に対して登場人物はどのように対応したか。」「社会個人の関係は作品の中でどのように扱われていたか。」「危機に対して登場人物はどのような役割を果たしたか。」など。G9・10の段階で作品の比較までする必要はありませんが、自分が読んだ作品から、鍵となる「概念」を見つける習慣をつけておくといいでしょう。

I B文献リストの作品を読む

ここからはIB文献リストからいくつかの作品を紹介します。紹介する基準は、大谷がこれまでIB日本語の授業で取り上げたことのある作品で、授業をするにあたっての「授業進行ノート」がすでにあるものです。もちろん、自分が読みたい作品があれればそちらが最優先。あくまでも、どんな作品を読めばいいのか迷ったときの参考です。

  • 「トロッコ」「蜜柑」「羅生門」「地獄変」「桃太郎」ほか 芥川龍之介 短編の中にさまざまな技法や仕掛けが効果的に使われているので、最初に手に取るには最適な作品たちです。中でも「トロッコ」は中学入試・高校入試の国語問題で頻出していることからもわかるように、場面の変化と主人公の心情の変化とが見事にシンクロしているだけでなく、同じ場所でも、往路と復路とでは情景描写と主人公の心情とが対照的に描かれているというお手本のような作品であるにも関わらず、最後に「わかる人にだけわかればいい」という仕掛けがさりげなく置かれています。ここで紹介した作品順に読むことで、IB学習に必要な分析の準備は揃うはずです。
  • 『沈黙』 遠藤周作 キリスト教が禁制になった江戸時代初期に、日本にやってきた司祭と日本人の信者の物語。「神の沈黙」が中心のテーマですが、「異文化の受容と変容」「司祭がローマのキリスト教を棄教することで見出したものは何か」など、さまざまな興味深いテーマを見つけることができるでしょう。ドラマチックな内容なので生徒には好評でした。1970年に篠田正浩、2016年にマーティン・スコセッシュによって映画化されました。映画を見た上で、原作との共通点と相違点を比較してみるといいでしょう。
  • 『クララとお日さま』 カズオ・イシグロ カズオ・イシグロの作品はインター生にこそ読んでほしい。日本人の両親によって日本で生まれたカズオ・イシグロは、幼少期にイギリスに渡り、イギリスで教育を受け、イギリス国籍を取得します。ノーベル文学賞を受賞した彼の作品は全て英語で書かれています。でも、彼の作品にはどこか「日本的な要素」が含まれています。例えば、白黒をはっきりさせないであいまいな部分を残すところや、主人公が語る「記憶」がどんどん信じられないものになっていき、むしろ「語られていない部分」、つまり余白の部分に秘められた真実を読むことを求められているところなど。また、この作品では、遺伝子の操作やAI技術など現代の科学技術の最先端のテクノロジーに関する「倫理」がテーマになっています。グローバルな問題との関わりの中で文学を考えるというIBの趣旨にピッタリのテーマです。この作品の主人公は人間ではなくてA Iロボット。しかも、このAIロボットは遺伝子操作手術を受けた人間のお友達になるために作られたロボットという、設定からして鉄腕アトムやドラえもんのような日本的なAIロボットなのです。AIロボットの目で見られた世界、というのはこれまでにあまり例がないのではないでしょうか。この設定が全体のトーンを童話のような明るく無邪気なものに感じさせます。「信用できない語り手」「記憶の捏造」を主題とするカズオ・イシグロの真骨頂です。最後の「ハッピーエンド」のなんと美しく残酷なことでしょう。これは、語り手(主人公)が人間だったら生まれることはできなかった世界です。ここまでくると、夏目漱石の『こころ』の先生と、AIロボットのクララとを比較して、「心」という不可解な存在について考察してみたくなるはずです。この作品は2026年の映画公開が予定されています。
  • 『こころ』 夏目漱石 高校生のときに読んで以来、30回以上読み返しましたが、読むたびに新しい発見が生まれる、「再読する価値がある作品」です。別の言いかたをすると一度読んだだけでこの作品の重層的なテーマの底に到達するのは難しい。だから、最初はストーリーを追いながら疑問に思ったことや気になったところに付箋を貼ったりメモしておいたりするといいでしょう。そして時間をおいて再度、精読すると一度目に読んだときとは全く違った世界が見えてくるはずです。高校国語の常連作品ですので、日本人の教養としても一度は読んでおきたい作品です。
  • 『ペスト』 アルベール・カミュ コロナ禍のときに世界で最も読まれた作品。2020年の4月に授業進行ノートを作り、7月から小論文準備クラスで授業をしました。神の存在を信じない医者である主人公(実存主義的正義)、キリスト教司祭(神の正義)、判事(法の正義)、市からの脱出を試みる余所者の新聞記者(個人の正義)が「不条理な現実」にどう立ち向かうか。
  • 『道徳経』老子 近代科学の前提となっている「機械論的二元論」とは異なる世界観として注目されている古代中国思想。ここから、「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」(方丈記)の無常観や、「絶対矛盾の自己同一」(西田幾多郎)に繋がる日本的な世界観が生まれた。現代科学では、物理学では湯川秀樹の「中間子理論」や「超弦理論」、生命科学では「動的平衡」などを生み出す源になっている。「授業進行ノート」では小川環樹訳を批判的に検討して、試みとして「女性原理・水・赤子」をキーワードに、しなやかさ柔らかさを意識した「大谷訳」を併記しました。
  • 『献灯使』多和田葉子 ドイツ語と日本語で小説を書き、それぞれの国の最高の文学賞を受賞し、この作品の英語訳が「全米図書館賞(翻訳部門)」を受賞しました。どの言語で読んでも、あたかも言葉そのものが主人公であるような違和感を読者に覚えさせるような作品です。それは、作者のテーマが言語と言語、文化と文化の「境界」そのものにあるからでしょう。舞台は東日本大震災後の近未来の「あったかもしれない日本」です。
  • 『東洋の理想』岡倉天心 「原始日本」「インド」「北方中国」「南方中国」の文化思想が融合したものとして捉えなおした日本の文化・思想史。原文は英語圏の読者に向けて英語で書かれています。
  • 「現代日本の開化」「私の個人主義」ほか夏目漱石 「近代日本とは何だったのか」についての理解がベースにあり、その上で、政治・経済・社会・文化についてのテーマが議論されています。にもかかわらず「日本の近代」についてのコンセンサスが形成されていない。そんな反省があったからか、21世紀に入っての10年間ほど、夏目漱石の二つの講演録からの引用が頻繁に見られました。大学入試小論文でも何度も取り上げられた記憶があります。

残りの作品は、タイトルと著者だけをリストしておきます。機会があれば、それぞれの作品の「授業進行ノート」のダイジェストを「さくぶん道場」のコーナーで紹介したいと思います・

  • 小説 『野火』大岡昇平 /『キッチン』吉本ばなな / 『異邦人』アルベール・カミュ
  • 韻文 『万葉集』 /『宮沢賢治詩集』
  • 戯曲『父と暮らせば』井上ひさし /『人形の家』イプセン
  • 評論『柔らかい個人主義の誕生』山崎正和