KLクナンガン* 母のぼやき by KAYAの母 第15回

*KL memories(クアラルンプール追想)の意

地球の暮らし方B面「産後20年談話――もはや産後ではない」

国民年金加入の案内および納付書が娘宛てに届いていました。つまり娘が20歳になったのです。周囲の皆様に支えられてここまで娘が育ってこられたことを心より感謝申し上げます。今回は名前も存じ上げない方々と先生方から頂いた記憶の奥に残る言葉をたどりながら産後20年をぼやいてまいります。

20年前は母乳育児が流行っていましたけど、2歳半ばになっても断乳できないでいる時に児童館のボランティアスタッフのおばあちゃまに言われた言葉はとても印象に残っています。「あんたねぇ、断乳できないのは子どもじゃなくてアンタなんだよ。おっぱいあげときゃ赤ん坊は黙るし眠るし、あんたが便利だから止められないわけよ。要するにあんたの覚悟が足りないわけ。覚悟決めて赤ん坊から子どもにしてやんなよ、このままじゃあんたの娘はずっと赤ん坊だよ」。あの時から覚悟が大事だと自分に言い聞かせてきたつもりが単なる意固地で頑固な母親になってしまった気がする。。。

同じく娘が2歳過ぎ頃に住んでいた家のごみ収集場所で、マナーの悪いゴミ出しを片付けてくださってたお隣さんを見かけたので手伝おうとした時のことです。「みんなにいい顔してたら子育てなんて出来ないのよ。ここは私がやるからお嬢ちゃんと早くお家に入りなさい」とその方は優しく声をかけてくれました。その方とは数えるくらいの会話しかしたことはありませんでしたが、当時息子さんが大学進学され別に住んでいるとおっしゃっていました。今の私と同じ環境だけど私はそんな余裕もなく行動も出来ていない。。。

あれから瞬く間に時は過ぎ、良くも悪くも親に反抗できる立派な子どもに娘は育ちました。外側から見れば従順な子どもに見える我が子も、日本の中学でもインター校でも親の呼び出し経験ありのサイレント問題児。実態は「1ミリも親の言うことなんて聞かない生意気盛りの成長投資枠」、いや「積立投資枠」か? いやいや親業なんて High Risk No Return で全力を尽くしたつもりの自己満足という摩訶不思議。

一昨年の夏休みには、東京で大学生生活を送る娘がオランダに遊びに来ていましたが、当初の予定を切り上げて早々に日本に帰っていきました。たまに一緒に暮らしたら些末なことを説教しまくる母親ってそりゃあウザい、友達といる方が楽しい。でもそんな我が子に私はちょっと安心もしたりして。。

IBDPのGrade12と日本の大学入試が重なって母娘共に落ち込んだ時に、マレーシア人の数学の家庭教師からこの言葉をもらいました。「”life is a school of hard knocks” 母国の外でアンフェアを乗り越えて生活すること、それが一番の学びだ」と。

もうひとつ、娘の日本での中学受験時の算数の先生からもらったこの言葉「確実に言えるのはどの親子も本当に頑張ったってことだけ」。そう、脇役の親だってそりゃあしんどいよ、お受験も中学受験もIBスコアも大学受験も親の心労は同じだったよ。でも主役の子どもが一番大変だったんだよね。だけど子どもってすごくタフで乗り越えたらケロッとしてる、正真正銘若さの勝利!

第一言語が日本語である娘が国内大学の9月入学の英語学位に進んだことは、つまり母国日本の学生の中でもマイノリティだし、これから先の人生で戸惑うことは多く、誰かの理解と共感を得ることは少ないでしょう。でもアウェイな立場で挑み続けるからこそ得られるものは多いと思います。それなのに、流されてきただけなのに案外心地いいとか、自分で選んだつもりでも人生の多くは向こうからやってくるとか、どれも我が子の人生に当てはまる気がする。だから私は親として我が子の選択に満足してるし誇りに感じています。

もはや産後とはいえない産後20年を通過するけど、すでに産後30年が楽しみなぼやき母なのであります。。

筆者紹介

B面担当・KAYAの母:2020年より5年間暮らしたマレーシアを離れて現在オランダ・アムステルダムに滞在中。ヨーロッパの片隅から相変わらず、ぼやいていきます。