KLクナンガン 母のぼやき 第6回

地球の暮らし方B面「ぼーっと生きてます。」

どの国のどの街でも住みなれた街でさえも、ほぼ毎日と言っていいほど文明の利器グーグルマップにお世話になっているのですが、地図全体を俯瞰しながら街を歩くにはスマホの画面は小さ過ぎませんか? 縮尺を変えられるのは便利だけど、どうにも全体像がつかみづらい。その昔「地図が読めない女」という言葉が流行ったし、これって私だけの悩みではないのでは? ああ、地図が欲しい。

長年生きてきたおばさんとしては地図は本屋に売っているものと思い込み、アムステルダムの家の近所の雑誌雑貨屋(本屋ではない)にも地図くらいはあるだろうとそこへ行きました。

「地図はありますか?」と拙い英語で尋ねたところ、お店のマダムがこう言ったのです。

"What for?"

私はド下手日本人おばさん英語で「この辺に引っ越してきたばかりなので、アムステルダム特にこの周辺の地図が欲しい」と答えるしかありませんでした。ああこの歳になっても英語ができないばっかりに買い物一つでこんなに戸惑うなんて哀しいおばさんだわ、私。。

こういう場合、日本の店員さんなら「どのような地図をお探しですか?」だろうし、マレーシアなら「No map」で片付けられるだろうし。よくよく考えてみると私の答えはマダムの質問への答えになっていないですし。。。地図を買いに来た客に、「なんで?」「なんのために?」って質問返しするって世界では普通なんですか?

夫にこの件を話したところ、オランダ人は目的意識がはっきりしているとのこと。夕方のオフィス街のバーは何かのフェスかと思うほどグラスを片手にお酒を楽しむ立ち飲み人で溢れかえっているのに、1時間もするとみーんな家に帰ってしまう。家でリラックスした時間を過ごすという目的のためにさっさと帰宅するのだとか。

老若男女すべてが英語ネイティブレベルのオランダの人々にとって、英語を喋る時だからWhat for?なのか、そもそもオランダ語でもWhat for?の直訳に相当する言葉を使っているのか? アナタたちにとってはオランダ語と英語の思考は似ているから大した違いではないのですか? 日本語でしか思考できない私はWhat for?を日本語に訳そうとするからなんか違うって思っちゃうんでしょうか?

いやいや待てよ、これは単に言葉の問題じゃない。頭の中でチコちゃんが「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と叫んでいる。私がいかに毎日を目的意識薄くなんとなく過ごしているかってことを気づかせてくれた大きな出来事なのかもしれません。でもやっぱり、このコラムの基本テーマは母のぼやきなんだから、漠然とした意識で生活し曖昧で論旨不明な文章を書くことでこのぼやきコラムの目的は果たせているのだ! ぼやきに論理的思考も文章も全く必要ないって代表のS々木先生も断言してくれているんだ!

しかしw整理してみると私の目的は自分の住む街の全体像の把握で、その道具として紙製地図が欲しかったのです。その肝心の地図ですが、その店には一つの地図もありませんでした。マダムは質問してきたにも関わらず一種類の地図も売っていなかったのです。オランダのお店の人って結構親切だから、彼女は私の求めている地図を売っている場所を自分が知っていたら教えてくれようと質問したのだと思います。文法的には正しくないのかもしれませんが、でもマダム "What for is your question?"

KAYAの母:2020年より5年間暮らしたマレーシアを離れて現在オランダ・アムステルダム生活始動中。ときに鋭く、ときにゆる〜く話題に切り込みつつ、相変わらず、ぼやいていきます。