あじなんだより Ajinan Report vol.26

ACT教育ラボの所在地は広島県西部にある廿日市市阿品(「はつかいちし・あじな」と読みます)。「あじな」の住民になった自らを「あじなん」と名づけ、暮らしの中で気づいたこと・感じたことを報告していきます。今回は、しばし阿品から離れて、大阪で知ったベンガル地方の歌う人々について感じたことを書いてみました。

 大阪府吹田市の国立民族学博物館(通称みんぱく)で9月から開催されている『吟遊詩人の世界』展を観てきました。そもそも吟遊詩人とは何ぞやという、基本中の基本の疑問を持って出かけたのですが、展示ではアジア・アフリカ各地の歌う人(叙事詩の語り部から現代のラッパーまで)の多様さを目の当たりにして、かえってわからなくなりました。たぶん厳格な定義はないんだと思います。その展示物の中に『旅芸人の世界』という書籍があり、その表紙を見て、突然、大学時代に友人と見に行った同名の公演の記憶が蘇りました。「この本、持ってたわ…」

 どうやら私は旅する芸能に惹かれるらしいという自分理解が一気に進みました。その時はパキスタンの宗教的な芸能“カッワーリ”という歌声のパフォーマンスに感動して、しばらくはその友人とカッワーリごっこをしたことまで思い出しました。どんだけアホな大学生だったのか…。名人ヌスラット・アリ・ファテ・ハーンの名は今でも噛まずに言えます。

 今回興味を惹かれたのは、インドの西ベンガル州とバングラデシュにまたがるベンガル地方に伝わる2つのジャンルでした。ひとつはポトゥアと呼ばれる絵語り師で、もう一つはバウルという歌う行者。ポトゥアの絵語りは自作の巻き絵をたぐりながらストーリーを語っていく芸能で、絵語り師たちはイスラム教徒でありながら、ヒンズーの神話も重要なレパートリーなのだそう。

 演じる方も聞く方もそこはあんまり気にしないんですね。社会問題・時事問題も扱っていて、コロナ禍のときに「マスクをしましょう、ワクチンを打ちましょう」と人々に訴える、政府広報的な演目(巻き絵)もありました。この極彩色の巻き絵を観光客向けにお土産物として売ってたりする俗っぽいところも生きた芸能って感じです。

 それとは対照的に、バウルは芸能者というよりも「歌う修行放浪者」(wikipediaより)。俗世を捨てて出家はするのですが、特定の宗教に奉じるのではなく、人間の本質を詩にのせて歌う、ある意味“イメージされる吟遊詩人”っぽい存在です。バウルは、その詩をノーベル文学賞受賞の詩人タゴールが英訳して、『ギタンジャリ』としてまとめたことで世界的に有名になった、との解説を読んで、初めてギタンジャリに目を通してみました。(写真はインドの詩聖タゴール。どう見ても修行僧→)

Thou hast made me endless, such is thy pleasure. This frail vessel thou emptiest again and again, and fillest it ever with fresh life.

あなたは私を限りないものにしてくださっている―それがあなたの喜びなのです。このもろい器をあなたは何度も空にしては、また新たな命で満たしてくれるのです

ギタンジャリ1より抜粋

 

 ここで言う「あなた」とは、神ではなく、万物の創造主を指すのだそうです。…深い。深くて、よくわからない。

 このなんだかよくわからない崇高な詩を吟じる修行者バウルになった日本人女性がいたのには驚きました。私より少し年上のその人は東京でバウルの公演を見る機会があり、「これだ!」と確信して3ヶ月後には彼の地へ飛んだのだそうです。そして弟子入りを果たし、ついにはバウルとなったとのことでした。

 ちなみに今回ポトゥアについて調べていたら、こちらも本場のポトゥアに弟子入りして絵解きになった日本人男性がいました。いやいや、カッワーリごっこで喜んでいる大学生とは大違いだ。