KLクナンガン 母のぼやき 第2回

地球の暮らし方B面「日常に見え隠れする"闇と光"」

娘に勧められて私も『Abang Adik』を観ました。その数日後に、アントワープの聖母大聖堂でルーベンスの絵を観ました。大聖堂の前には『フランダースの犬』の主人公ネロ少年と犬のパトラッシュの像があり、それを見た私の頭の中には二つのことが思い浮かんでいました。一つ目は少年ネロの最期のセリフ「ボクも疲れたんだ。なんだかとっても眠いんだ。」、二つ目は映画「Abang Adik」。今も昔も世の中はあまり変わっていないのかな。

フツーのおばさんにとってこの世界のほとんどの物事が複雑で難解でよく理解できないんだけれども、とりわけ社会の構造とは本当に心底難しいものだということは分かります。さらにマレーシアは本当にmelting pot です。マレー系、中華系、インド系やオランアスリのマレーシア人、ネパールやミャンマー、インドネシア、パキスタン、バングラデシュの人、日本人、韓国人、中国本土の中国人、トルコ人、イギリス人。それぞれの歴史と、それぞれの宗教・・・。

社会の構造とは政治とか経済問題だけじゃない、そこにはそれぞれの文化や歴史を背負った人と人の関係が複雑に絡み合っているのかなって思います。おばさんの何気ない会話の中にも社会の闇と光は見え隠れ・・・。

インターナショナルスクールのお祭りで、こんな会話がありました。彼女は中華系マレーシア人、ご主人はインド系マレーシア人のとても裕福なマダムでした。大人も子供も自国のコスチュームを着て参加のイベントで、彼女の装いはチャイニーズムスリマでした(マレーシアの中華系ムスリムの数はそう多くはないと思います)。「自分の祖父も祖母もマレーシア生まれ、私もムスリム。でもskin colorが問題なのよ、そういうことよ」と彼女はあっけらかんと朗らかに言っていました。

娘の卒業式で、あるママとこんな会話がありました。彼女はマレー語と英語、タイ語の3言語を操ります。子供が卒業した後の母としての暮らしや、更年期って辛いとか、月一回頻度のランチ相手を見つけたいわね、とか語ってくれました。その彼女が「white peopleは私たちとは違う」と。彼女の英語力でもこの発言ということは、言語の問題じゃないってこと、文化や歴史のことを意味してるんだなー。

日本に長年住む中国人の彼女は流暢な日本語で「日本人は(当局の)権力の恐ろしさを知らないよ。あなたも日本以外に住んでみて感じたでしょ」と。駐在員帯同家族という恵まれた環境ですら自分のパスポートとVISA査証の大切さは身にしみたし、当局の権力を垣間見る噂やニュースは耳にすることがあった。そういえば今となっては遠い昔のように感じるパンデミックによるマレーシアのロックダウンも自粛云々のレベルを超越してたなぁー。

マレーシアでの生活は、世界は広くて複雑だと私に教えてくれました。お金があってもなくても、教養があってもなくても、善意も悪意もごちゃ混ぜでも、地に足のついた普通の人の普通の暮らしが世の中を作っているんだと思う。悲劇も喜劇も飲み込んでフツーに暮らすって大変なことだな。

さて、さも英語で情報収集したかのように綴ってきましたけれども、私の英語能力についての娘からの評価は「ママを見てると自分の英語に自然と自信が湧くよ」とのこと。ほんまに聞き取れてるんかい、この世の光と闇なんて。。。

KAYAの母:2020年より5年間暮らしたマレーシアを離れて現在オランダ・アムステルダム生活始動中。マレーシア滞在中のぼやきは「KLスカラン 母のぼやき」で全15回分読めます。場所が変わっても、ときに鋭く、ときにゆる〜く、話題に切り込みつつ、相変わらず、ぼやいていきます。