さくぶん道場 番外編 大谷雅憲

作文や小論文で求められる学力

帰国生を対象とした入試では、大学入試はもちろんのこと、中高の入試でも小論文や作文が入試科目になっているところが多い。おそらく親の世代の人は「作文」と聞いても、なぜそれが学力評価の基準として注目されているのか理解しにくいのではないだろうか。それは、日本で一般的に行われてきた作文教育が、体験型作文(運動会や遠足などの行事の後に書くもの)、 反省作文(一学期を振り返ってなど)、読書感想文などだったせいもあるだろう。

もちろん、こうした作文のテーマは今でも主流になっている。帰国生入試でいうと、「海外生活で印象に残っていること」「あなたの滞在した国と日本の違い」などがそうだ。このようなテーマが出される場合、面接の時の参考資料程度の扱いだと考えられる。

一方、インターナショナルスクールでは、作文によってさまざまな能力を測ろうとする。テーマの理解・問いの深さ・視点・論理展開力・構成力・ことばのセンス・説得力など。想像力と創造力をフル回転させることが求められるようなテーマだ。「『お土産を持って帰るからね。大晦日の午後になる けど。それじゃ、ね。』姉は弾んだ声で電話を切った。 もうすぐ会える。家族揃っての正月は 3 年ぶりだ。」 この続きを書きなさい。(IGCE-Aレベル 日本語 )

次は、欧米の作文教育をよく知った上で出題された 帰国生入試のテーマ。
「一度記憶したことは絶対忘れない薬が発明されました。この薬の長所と短所を書きなさい。」(同志社国際高)

その他、一枚の写真から感じたことを作文にしたり、5万人の町の町長さんになって町づくりを考えたり......。知識の習得だけでは書くことのできない、「問題発見-問題解決」能力を試される問題が増えている。「作文」の現在は、今こんなふうになっている。 

僕が東京で初めて作文教育に関わったのが 1986 年、マレーシアに来てからも作文教育を続けてこられたのは、作文教育には無限の可能性があるから。現実的な問いから、答えのない問い、果ては解答不可能な問いを生徒と一緒に考えることによって、思考力が動き出す。これまで学力というと答えのある問いに早く正確にたどり着けるかが問われていた。もちろん、それも大切な学力の一つに違いない。しかし、僕たちが現実に生きている世界に答えなどない。学校で学んだりインターネットで検索したりして出てくる答えは、あくまでも「これまでにわかったことの蓄積と限界」であって(もちろんそれを知ることは大切なのは言うま でもない)、その限界を超えるために問いが生まれる。 そうした問いは、素晴らしく思考力を刺激するので、頭が痺れるほどに回転する。

世界でもっとも難しい問題を出すことで有名なのが、オックスフォードとケンブリッジが書類審査に合格した生徒を対象にした面接問題だ。この問題をさくぶん教室の生徒に読んで聞かせると、生徒たちは「え、それってさくぶん教室の問題みたい」と笑い出した。

出題例をいくつか並べてみる。

「もし地面を地球の裏側まで掘って、その穴に飛び込んだらどうなりますか?」

「リンゴを説明してください」

「カタツムリには意識があるでしょうか」

「火星人に人間をどう説明しますか?」

ちなみに、さくぶん教室で今年になってやったテー マは、「JAPANESE ONLY 裁判を判決する」「もしも何でも消せるケシゴムがあったら」「八百目太郎~AIの 2045 年問題・もしも知りたいこと・わかりたいこと・ 見たいことがすべて実現したらどうなるか」「『かごめ かごめ』の読解」など。

 こうした問いは、さくぶん教室(小〜中学生)でも大学入試小論文コースでも出題できる。自分の知的レベルに応じて最大限に頭を動かせばいいからだ。教える方も答えを持っていないから、毎回、頭がくたくたになる。でも/だから、楽しくて止められない。