あじなんだより Ajinan Report vol.15
ACT教育ラボの所在地は広島県西部にある廿日市市阿品(「はつかいちし・あじな」と読みます)。「あじな」の住民になった自らを「あじなん」と名づけ、暮らしの中で気づいたこと・感じたことを報告していきます。第15回はクモ・カニをめぐる考察。節足動物って幅広いですね。
クモの巣は空き家にはびこるものだと思っていましたが、この家に住んで一年余り、いまだに毎日少なくとも3つは巣を目にします。「クモは巣の大半を毎朝新しく作り直している」「その原料となるタンパク質は体内で作られるほか、自分の巣の一部を食べて再利用している」ということを先日TOEFLのリーディング問題の文章で知りました(小ネタの宝庫です、TOEFL)。どうりで巣を見かけるたびに取り払ってるのに、翌日にはきれいに再建しているわけだ…。それにしてもクモの巣づくり能力&効率には感嘆させられます。蚕(かいこ)から絹を作るように、クモの糸は有効利用できないのかな?と検索してみたところ、ありました、ありました。手術の縫合糸や人工血管などの医療用をはじめとして、既にさまざまな分野で実用化されています。さらに先を行くミノムシの糸までも研究は進んでいるようです。
近所のスーパーからの帰り道、溝でカニを見かけました。私の住まいは海沿いの埋立地にあるので、道路や庭先にカニがいるのは珍しいことではありません。そのときも特別な様子ではなかったのですが、獲物を両方のハサミで頭上に掲げるようにして高速で横に進んでいく姿を見て、ふと疑問がわきました。
――なぜ世の中の生き物でカニだけが横に歩くのだろう
もちろんカニの体の構造を考えれば、前後に動くよりも左右に動くほうが理にかなっているのはわかります。でも進化の途上で前後移動という選択もあったのではないか。また、カニにとって横移動が有利なのであれば、人間だってそれに適した骨格を得ていれば、横ばいがデフォルトとなり、「前進で歩くの? あはは、不便そう〜」なんて、前向きに歩く生き物を嘲笑していた可能性もある。もはや妄想の域ですが。
ちなみに「カニの横ばい」ということばには、物事がなかなか前に進まないという意味のほかに、他人が見ると不自由そうでも自分には最も適していることという意味もあるそうです。いいじゃないですか。カニの横ばい。
カニといえば、石川啄木のこの短歌。
東海の小島の磯の白浜に
我泣きぬれて蟹とたわむる
俯瞰で海から島へ→その海岸線から白い砂浜に→そこにいる人間と手元のカニへと視点が徐々に狭まっていく、まるでドローンで撮影したようなフォーカスの集め方がおもしろいと思います。が、うちのあたりのカニは獲物を運ぶのに忙しく、人間の相手なんかしてくれません。