さくぶん道場 第193回 大谷雅憲

ザビエルが見た日本

フランシスコ・ザビエルの名前は、「日本に初めてキリスト教を伝えた西洋人」として馴染みが深い。ザビエルが来日したのは1549年。日本は戦国時代にあたる。

ザビエルは、マラッカでアンジローと出会い、彼の理解力と知識欲と礼儀正しさに驚く。そして、日本人に会ったことのある人たちから情報を収集して、日本人は「並々ならぬ知識欲を持っている国民」であり、「彼らは慎重な態度で分別のある判断を下し、また、新しいことは何でも知りたがっている」と結論づける。そして、キリスト教布教の可能性としての日本に大きな希望を抱くようになる。

実際にザビエルが日本に到着したときも、知識を求める人々からの質問攻めに合い、知識が満足されると尊敬を受けるというできごとが頻繁にあった。でも、その中で、どうもこれは議論が噛み合っていないぞ、もしかして、ザビエルは大きな誤解をしているのではないかという部分があった。

それは「地獄」に関する問答だ。

「日本人を悩ますことの一つは、地獄という獄舎は二度と開かれない場所で、そこを逃れる道はないと私たちが教えていることです。彼らは亡くなった子どもや両親や親類の悲しい運命を涙ながらに顧みて、永遠に不幸な死者たちを祈りによって救う道、あるいはその希望があるかどうかを問います。それに対して私は、その道も希望もないとやむなく答えるのですが、これを聞いたときの彼らの悲しみは信じられないほど大きいものです。そのために彼らはやつれ果ててしまいます。しかしそのような苦しみの中にもいいことが一つあります。つまり祖先たちのように永遠の罰を宣告されないように、自分の救いのため一層努力するように励ますことです。神は祖先たちを地獄から救い出すことはできないのか、また、なぜ彼らの罰は決して終わることがないのかと彼らはたびたび尋ねます。私たちは彼らに納得のいく返事をするのですが、でも彼らは親族の不運を嘆かずにはいられません。私もいとしい人びとがそのような嘆き──後悔先に立たず──を隠せないのを見て涙を抑えられないことがあります。」(『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫P98ー99)

本質をついた疑問だと思う。日本人は情緒的な感性には優れるが論理的思考ができないと指摘されることが多いが、ここで行なわれている緻密な議論を読むと首を傾げざるをえない。彼らが悲しんでいるのはこういうことだろう。

ザビエルによって初めてキリスト教の教えがやってきた。それまでの日本の祖先たちはキリスト教そのものを知らなかったわけだ。でも、キリスト教の教えによると、邪教(キリスト教以外)を信じるものは悪魔に魂を売ったものとして地獄に落ちなければならないことになる。神が全能であるとすれば、なぜ、その教えを西洋にだけ教えて、われわれ日本人には教えなかったのか。教えもせずに地獄に落とされるわれわれの祖先にいったい何の罪があるのか。

それに対して、ザビエルは「自分の救いのために一層努力するように励ます」と言っている。さらに、「後悔先に立たず」などと書く。これでは、ザビエルの教えを聞きながらも何度も祖先の罪について聞き返しては嘆く日本人の心情を理解していたとはいえない。

ザビエルは自分の教えが、日本人に受け入れられたという。確かに戦国時代に信徒は増え、その後の鎖国やキリスト教に禁令や弾圧にもかかわらず信仰を捨てなかった熱心な信者はいた。しかし、信教の自由が認められている現在の日本でのキリスト教徒数は、196万7,000人(人口の1.6%)これを多いと見るか少ないと見るかは意見が分かれると思う。ただ、ザビエルが夢見た「神の王国としての日本」は実現しなかったのは確かだろう。

ここからは、僕の妄想の世界。ザビエルの話を聞いた民衆の中にいたある男は、こうつぶやく。

「どうやら、キリスト教というのは、立派な宗教らしい。ザビエルさんも遠路はるばる日本までやってきてくれて、わしらのことを気にかけてくれるとは、ありがたい。わしだって、できることならザビエルさんの神様におすがりしたい。でもなあ。それじゃ家族や亡くなった仲間たちのことをお世話するものがおらんようになる。仕方ないが、わしはこちらに残って彼らと共に永遠の罰を受けよう」

「自分だけが救われる」ことへの日本人の違和感をザビエルは理解できなかったように思う。