さくぶん道場 第169回
「言葉の持つ力」 T.M. (中学2年生)
この世界には6900程の言語があるが、世界単位で見たら自分の得意とする言語の通じない人々の方が圧倒的に多いだろう。一応英語が標準言語になっているが、それでも各々の文化や伝統、歴史を尊重してその国の言語で話している国の方が多い。言語が違うと確かに人々は言語が同じ場合と比べると意思疎通がはるかに難しくなる。だが、例えば日本の有名な詩「私と小鳥と鈴と」に「みんな違ってみんないい」という有名なフレーズがある。言語が違うと便利ではないが、そういう昔からの文化も尊重する必要があると思う。
言語の多様性は文化の多様性、人間の世界の見方の多様性につながる。その多様さが「個性」になるということか。
次に、言語が一つしかない世界について思う事は、単調だと思う。私がこのような世界について考えた事が無かったこともあるが、あまり共感というか、理解は難しい。今AIにより懸念されている事の一つの「仕事がなくなる」という事に当てはまってしまう。例えば実務翻訳(企業や研究者、消費者が利用するための翻訳)、小説やノンフィクションなどの文芸作品を翻訳する「文芸翻訳」がある。これらの重要な仕事が無くなると、多くの人が職を失ってしまうだろう。だが、いい所としては、やはり日本語や英語など様々な言語を使っている世界に比べると圧倒的に意思疎通が楽であり、苦難がないだろう。
確かに、今の翻訳アプリはとても質が高くて、プロの翻訳家や通訳の人も使っている。でもそれはあくまでも「下訳」としてであって、繊細なニュアンスを訳すことはできないみたい。例えば通訳機を使うと、タイムラグがあって、楽しい会話にはなりにくいし、会話にリズムや間合いが生まれない。まあ、でも便利なのは確かで、僕も病院に通っていたときには医者の説明を理解するのに助かりました。
もし生まれた時から言語が一つしかない世界があったら、私は「日本語や英語など様々な言語を使っている世界」と「言語が一つしかない世界」のどちらかだったら、「日本語や英語など様々な言語を使っている世界」がいいと思う。人間は他の動物と比べて言語という強みがあるからここまで食物連鎖の上位に立てたので、言語が一つになったら文化や伝統等という物が無くなると思う。例えば方言とかでもその地域の方言の良さもあるし、方言について知る事は楽しい。
日本も明治になって「標準語」ができて、それまであった300以上の言語は「方言」と呼ばれるようになった。でも、標準語ができた後でも、方言は残っていて使用されている。このことは、世界の言語の未来を考えるときにも使えるかもしれない。世界の共通語が英語になっても、方言としての日本語やフランス語、マレー語は残るのかもしれない。
これは私が外国で言語の通じないことの辛さを体験した事だが、私はマレーシアに行った際、アルファベットが辛うじて書けるくらいの状態でインターナショナルスクールに放り込まれた。最初の3ヶ月はとても孤独で、とても辛いものだった。でも、これがあったからこそ今があるから悪いだけでもないと考えてしまう。話を戻すが、学校では教師の言っている事が分からずに、いつも一人でなんとなく時間を過ごし、クラスメイトの誰とも話せないため友達もできなかった。だが、そんな学校生活を送っている状態で1年が過ぎた頃、ほんの少しだけ英語が分かるようになった私は新しいクラスに今の親友を見つけた。その子と私はとても趣味が合い、絵などのできる限りの手段を使って意思疎通をし、すぐに仲良くなった。その子に会ってからしばらくして、その子が私の家に遊びに来た時に親と話した日本語を少し理解していた事にとても驚いた。その時になぜ分かったのか理由を聞くと、私と会ってから日本語に興味が出たのと、もっと私と話せるように日本語を勉強していると言っていて、その時にとても嬉しかった。このような事があり、私は言語には不思議な力があると信じている。なので、言語は人間と切っても切り離せない物だと思うし、大切な物だと思う。
いい話だな。僕もマレーシアに来た時、ことばが通じないで、筆談をしたり絵を描いたりしてコミュニケーションをした、そのときに知り合った3人のマレーシア人が28年たった今でも一番仲のいい親友だ。たしかに言語には不思議な力がある。それは、言語に不自由をした体験をした人のほうが感じることのできる体験なのだろう。
今回の作文、内容、構成、テーマの捉え方、例の出し方、すべてが素晴しかった!(大谷)