KLスカラン 母のぼやき 第8回
複眼で見るマレーシアB面「マレーシアスケッチ・カンポン編」
1つのトピックに母娘それぞれの視点で迫るコラボレーションコラム
※カンポン(kampong):集落、村=いなか・ふるさと
今から82年前の12月8日、真珠湾攻撃の数時間前、マレーシアのコタバルに日本軍が上陸しました。コタバルはマレーシアの北、タイとの国境近くのクランタン州の街です。昨年の夏、私たちはその上陸地点を訪れました。幹線道路を外れ、車がすれ違えないほどの狭い道を進み、最後は車を降りて徒歩で橋を渡るとひっそりと記念碑が建てられていました。かつて静かな静かなこの田舎の砂浜で戦争が始まったのだとなんとも言えない気持ちになりました。
そして帰り道に橋の上から、まるでタイムスリップしたかのような光景を見ることができました。一人の男性が小さな船を漕いで川を横断していました。この人だって、普段の生活ではSNSを使っているだろうしスマホアプリ決済で買い物し、YouTube見たりオンラインゲームもしてるかもしれないし、ChatGPTに悩み相談してるかもしれない。それでも、彼がこの時代にこの船を使う理由とは。なんのために彼は船を漕いでいたのでしょうか。。。
などと考えながら歩いていたら、この平和な静寂をぶち壊す爆音がブルルルルブルルルルと聞こえてきました。暴走族のようにエンジンをふかし、目を疑うほどに眉目秀麗なマレー系少年二人が直線100メートルほどの道路でバイクレースをしていたのです。でも爆音はすぐに止み静けさが戻ってきました。記念碑までの道は幅は狭いとはいえ不自然なほどに舗装状態が良いのは、たまに慰霊に訪れる偉い政治家のためなのでしょうが、バイクレースに絶好の状態でもあるのでしょう。私の推測では、少年たちはまだ中学生って感じでしたね。人通りもまるでない道路で、オカンの昼寝を邪魔するような音を出してバイクレースをしてニコニコしているなんて真面目な少年ですよ。
帰りの車の中から、橋の近くの大きな家のガレージに集っているその少年たちグループを眺めることができたのですが、そのイイ意味でだらけた様子はとても楽しそうでした。ある意味それこそが最も平和な光景なのかもしれません。。。
ライター:KAYAの母 2020年より夫娘とともにマレーシア生活をスタート。ときに鋭く、ときにゆる〜く、話題に切り込みつつ、ぼやいていきます。