あじなんだより Ajinan Report vol.11
ACT教育ラボの所在地は広島県西部にある廿日市市阿品(「はつかいちし・あじな」と読みます)。「あじな」の住民になった自らを「あじなん」と名づけ、暮らしの中で気づいたこと・感じたことを報告していきます。第11回は「もみじ(もみじまんじゅう)と広島」について他、つらつらと。
「もみじまんじゅうに行列、サミット警備完了の土産?」という見出しの記事が地元の新聞に載りました。広島でのG7サミットが終了し、全国から派遣されていた二万数千人(!)の警察官が撤収する際に列をなしてもみじまんじゅうを買い求めたという、冗談みたいな話ですが、「広島=もみじ」(もみじまんじゅうか?)のイメージが定着しているのが実感されます。
広島と「もみじ」の密接な関係は1980年代にテレビで起こった第一期お笑いブームのとき、漫才コンビB&Bが発したギャグ「もみじまんじゅう!」(広島出身と岡山出身の二人が互いに出身県の名産品で張り合うネタの一部。なんであんなに笑えたのだろう…と思ってYouTubeを見返したらやっぱりおもしろかった)に始まる、と思ったら、さにあらず。
広島県のHPによると、もみじは昭和41(1966)年にすでに県の木として制定されていました。ちなみに同HPには県の魚として「牡蠣(かき)」が載っており、「さかな」の自由な解釈にめまいがしそうです。
もみじまんじゅうの誕生は、一説では明治の頃、紅葉の名所としても有名な宮島の老舗旅館・岩惣(いわそう:今回のサミットでも夕食会に使われた高級旅館)の女将が「宮島土産になるお菓子を作って欲しい」と出入りの和菓子屋に依頼したのが始まりとのこと。
他説としては、明治の元勲・伊藤博文が宮島によく訪れており、あるとき宿で給仕の娘さんの手をとって「なんてかわいらしい、もみじのような手だろう」と口説いたことから…、というのもあります。
この説が広まったのは伊藤博文の女好きが世間に知れわたっていたためなようで。よっぽどだな、元勲。
しかしこの原稿を書いている今もそうなのですが、「もみじ」と入力すると勝手に「紅葉」と変換されて、とっても邪魔。なぜ紅葉がもみじなのだ、「もみじが秋になって紅葉する」を漢字で書いたらワケわからんぞ。というわけで、もみじの語源を調べてみました。
もみづ/もみつ(動詞):秋に草木が赤や黄色に変わること。衣料を染めるときに原料から色を「揉み出す=揉み出づ」から転じた。「もみぢ」はその名詞形
なるほど。色を揉み出す→木の葉が赤や黄色に染まるという流れなのですね。古今和歌集には論語の一節を和歌で詠みかえた次の作品がありました。
雪降りて 年の暮ぬるときにこそ
ついに もみぢぬ 松も見えけれ
訳:雪が降って年の暮れを迎える時でさえ「もみぢない(紅葉しない)」のが松。その松のように、困難にぶつかってなお揺るがない姿が学問を修めた者の真価であるという意味だそうです。