さくぶん道場 第177回

「QWERT」       大谷雅憲

小論文演習クラスでは一橋大学2012年度の問題をやった。テーマはQWERT。パソコンのキーボードの文字盤の左上のアルファベットの並びのことだ。100年以上前に英語のタイプライターが発明されたころ、キーボードの文字配列は今とは違っていた。今よりももっと速くタイピングできる配列だったそうだ。しかし、タイピストのタイピングの速さが上達すると印字のヘッドが絡まって、かえって手間がかかってしまう。そこで、一定以上の速さでタイピングできないように「工夫」されたのが、いま僕たちが使っているQWERTの文字配列というわけだ。

技術的により合理的な方式が採用されない例

タイプライターがパソコンに変わったいまでもキーボードの配列はQWERTのままでいる。こんなふうに技術的により合理的な方式はあるのだが人間の慣性がそれを実現させないでいる例を、課題文ではキーボードの配列とビデオの録画方式の2つを挙げて説明していた。僕はこの2つのケースでいずれも敗者の側を選んだ経験がある。

キーボードの配列では、かつて「親指シフト方式」という日本語入力の優れものがあり、僕は1986年のワープロ時代から愛用していた。日本語の思考の流れに則してタイピングができるので、タイプしているという意識なしに言葉が生まれてくる快感があった。親指シフト方式はタイピングの大会でも毎年優勝するので、そのうち大会そのものがなくなってしまった。開発したのは富士通。それほど優れたものであっても普及はしなかった。他社が合同で「新JIS方式」を採用したからだ。

時が経って、富士通のキーボードも新JIS方式を採用するようになり、そのうち新JIS方式もあまり見なくなり、気がついたらQWERT方式を使うのが当然の時代になっていた。「兵どもが夢の跡」である。

そのうち富士通のサポートもなくなったが「隠れ親指シフト教徒」は生き延びた。作家やライターの書斎の写真に親指シフトキーボードが写り込んでいるのを見逃したりはしない。僕も「隠れ親指シフト教徒」だったから。表参道に専門店があるのを知っているし、隠れ教徒が密かに集まって情報を交換するSNSグループがあるのも知っている。僕自身は数年前に転んでしまったが。

ビデオの録画方式についてはソニーの「ベータ方式」派だったが、これも「VHS方式」派に負けてしまった。これについては特にこだわりはない。

年齢の差を思い知らされる

こういう内容を授業中にムダに熱く語っている途中、ふと我に返った。21世紀生まれの生徒たちはキーボードの日本語配列の話やカセット式のビデオの話を聞いても実感を持てないのではないか。実際に聞いてみると、キーボードはQWERT以外に考えたことがないし、ビデオは祖父母の家で見かけたことがある、ということだった。彼らにとってLPもカセットテープも、いやCDやDVDですら過去の遺物なのだろう。そりゃそうだ。3〜40年前の話というのを自分の高校生の年齢に置き換えてみると、大正から昭和初期の話題を聞かされていることになるわけだから。ぐほっ。

 過去を語るときには自分と相手の年齢の差を理解した上で話を進めないといけないことを思い知らされた授業だった。